「ブルキナ先生」と呼ばれたい

ブルキナファソを知る「先生」に、ブルキナファソで「先生」になるために

「道」

こんにちは!


ブルキナファソに来て早6ヶ月。
すでに任期の4分の1を終え、
自分の活動の方向性を決める時期になりました。


これまではと言うと、
学校を巡回して授業を見たり、
子供達と遊んだりという日々を過ごして来ました。




しかし、ここでこの生活に一時ピリオドが。
(悪魔の鎮魂歌、流れています)




「夏休み」




任国では7月から2ヶ月間の長い夏休みがあります。
6月下旬の小学校修了試験が終わってからというもの、
子供や教育関係者はまさに夏休みモード。




子供は畑を耕して親の手伝いを終えると「木陰でおしゃべり」
先生たちも授業をしないで「木陰でおしゃべり」
自分の配属先の人たちも仕事をしないで「木陰でおしゃべり」
そもそも夏休みでなくても「木陰でおしゃべり」が常ではありますが。


そんなわけで配属先の事務所は開いてはいるものの、
ほとんどの人が事務所に来たり来なかったりという現状で、
学校はやっていないので学校巡回はできない。
自分もやはり「木陰でおしゃべり」、、、


というわけにもいかない。





任地に配属してから今日まで学校を巡回してきましたが、
言ってしまえば「ただ巡回していた」だけ。
ブルキナファソの学校の現状を肌で感じることができた今、
自分の感覚を信じて少しずつ自分が出来ることを始める時期なのではないか。


ということをやはり配属先の人との「木陰でおしゃべり」
で気づきました。




学校巡回をしていて
日本との授業や教育観の違いに驚くことは多々ありましたが、
教室に入っていつも思うことがありました。



「教室が汚い」



紙くずやお菓子のゴミが散乱。
机や椅子はネジが外れ壊れている。
黒板も前の板書が残ったまま消さない。
数年前の児童名簿が貼ったまま。



児童にとって教室は学びの場であり、
学習をする場所として環境を整えることは先生の義務でもあります。



学校に先生も子供もいない今、
自分がアプローチできるのは「学校」そのもの。


なので「勉強をする場所」としての学校づくりのために、
夏休み開始時から「学習環境の整備」を始めました。


具体的には


・教室の清掃
・壊れかけた机・椅子の修繕
・掲示物の整理
・黒板のペンキの塗り直し
・ゴミ箱の設置


などを1つの学校を3日間で整備するというもの。





もちろん学校には掃除用具やペンキはないので、、、


ネジや工具等必要なものを村で調達し、
(床に落ちているネジを探して売ってくれます)


校長先生に電話をして教室の鍵を借り、
(拙いフランス語+電話で聞き取りにくい=最低3回は掛け直す)


自転車にバケツや箒を積んで、
(見た目と装備は完全にただの清掃員)


魯迅先生著「故郷」のような道を走りいざ活動開始。
(もともと地上に道はない。歩く人が多くなればそれが道になるのだ)





始めの活動場所は自分の自宅から自転車で約15分のところにある学校。


校長先生から拝借した鍵を使って教室に入ると驚きました。


2ヶ月間学校に来ないというのに
教室が掃除されていない。
黒板は書かれたまま。
板書を消すために使ったスポンジと水はそのまま。



「まず掃除だ、、、」


ということで箒と塵取りを持って全クラスを回り、
1日中掃除をして初日を終えました。
(完全に掃除のおじさん)


次の日には壊れている机や椅子の修繕と黒板の清掃、
最終日には黒板のペンキ塗りと掲示物の整理を行いました。



時には校長先生自ら手伝いをしてくれることもありました。


手伝ってくれることも単純に嬉しいのですが、
自分の活動を理解しようとしてくれる姿勢を感じたことが収穫でした。


でも、校長先生が腰を屈めて掃除をしているのを見て、
なんとなく罪悪感も感じましたが、、(笑)





また作業をしているとちらほら人の気配が、、、
家の手伝いを終えて暇を持て余した子供達が
「マサが何かしてる」と見物しに来ました。


しばらく自分の作業をまじまじと見つめ、
何をしてるか分かったようです。


バケツの水を汲みに行ってくれたり、
一緒に掃除をしてくれたり、
ペンキ塗りを手伝ってくれたりしました。



子供達はペンキを塗る作業を日常ではほとんどしないので、
自分がお昼を食べている時も楽しいのか
ひたすら黒板を塗り塗りしてくれました。






そんな子供達の作業風景をおかずにお昼を食べていて、
「机を壊したり、ゴミを捨てているのも子供達なんだよあ」
とふと思いました。




子供達は集中力が切れると
机のネジを外したり、机に落書きをしたり、
ノートや教科書をちぎって床に捨てたりしています。


また学校巡回をしていて
「教科書が足りないから授業ができない」とよく言われていました。


でも教室を掃除しているとボロボロになった教科書が沢山。
もっと教科書を大切に使えば
より多くの子供が教科書を使うことができるのではないでしょうか。




任国の人たちが「モノを大切に使わない」ということは
赴任当初から気づいていました。


ものが有限にあるものだと思って、
ビニールも紙も水も粗末に扱って、
使わなくなったらその場に捨てる。


人からもらったものも、
そのありがたみを本当に感じているのかという様々な行動。


教科書をちぎって丸めている。
もらった飲料水で水をかけ合って遊んでいる。
先生から借りたボールペンを噛んでぼろぼろにする。





ブルキナファソにはボランティアを含め、
沢山の人々がブルキナ発展のために技術提供や人材派遣を行なっています。
それにも関わらず上記のような行動。
少しでもいいから「感謝の気持ち」を感じてほしい。


全て子供の責任というわけではないけれども、
「今あるものを大切に使う」ことを子供が理解できなければ、
きっと一年後に同じ風景を見ることになります。






過去に協力隊の先輩隊員がブログに
「協力隊の活動は何かを変えることではなく、
変わることに手を貸すこと」と書かれていました。


解釈は少し違うかもしれませんが、
たとえ自分が何かを変えても、
その国の人々の心が変わらなければ意味がない。




変わることに手を貸すこと
人の心を動かすこと
人の心に触れること


自分の活動に「人との関わり」
もっと必要であることに気づきました。




活動を始める前は、
「学習をする場としての環境整備」だけを考えていましたが、
活動を手伝ってくれる子供達を見ていて
子供たちと一緒に活動を行うことで、
ものの大切さに気づいてほしいなと思いました。




先述した魯迅の「故郷」の1節には


「希望とは道のようなものである」


という前置きがあります。



今の自分の活動はたった一つの願い、
たった1人の通行人かもしれませんが、


あと1年半の間に少しでも多くのブルキナべの心を動かし、
同じ願いを持つ人、歩く人を増やして
その希望が現実になるといいなと思います。






あとがき


今回もかなり長い文章になってしまいました。
ヘビーな文章を読む時間と労力を奪ってしまったとは思いますが、
別に「ヘビーメタル」を意識したわけではありません。


また、任地で生活をしながら「ヘビーメタルの道」を
一緒に歩いてくれる人を探しているのですが、
未だたった1人の通行人。


こちらは道にならなさそうです、、、。笑