「ブルキナ先生」と呼ばれたい

ブルキナファソを知る「先生」に、ブルキナファソで「先生」になるために

「Changer Le Monde, C’est Vrai !? ~世界を変えるってホント!?~」


こんにちは。



前書きにもありましたが今月でブルキナファソ赴任1周年を迎えました。


特に大きな病気や怪我もなく、
マイペースに活動をしたり、友人とお酒を飲んだり、ダンスを一緒に踊ったり、
ほのぼのとしたブルキナライフを謳歌しています。


今回の記事は


「Changer Le Monde, C’est Vrai !? 
  ~世界を変えるってホント!?~」

ということで、
ブルキナの小学校でグローバルな授業を現地教師とコラボして展開してきました。





皆さんは「SDGs」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?


国連が2030年を目標に定めた持続可能な開発目標の具体的指針で、
日本のいくつかの会社がこの17のグローバル目標を
事業運営のために取り入れています。
学生写真コンテストも毎年行われていますね。




今回日本のある学校からお誘い頂き、
「ブルキナファソと日本の学校でSDGsを主題とした学校交流を行おう」
ということに相成りました。



それぞれの学校で17のゴールの優先順位を決め意見交換を行い、
順位の相違点を話し合うことでお互いの国を知る



という日本の先生のナイスアイデアにまるまる乗っかり、
ブルキナファソでは第一回目の授業を先日行いました。



しかし、授業をするまでの道のりが長かった、、、
思い出が走馬灯のようにぐるぐる脳裏を走り出す~




まず、持続可能な開発目標を知っている児童や先生がおらず、
企画説明と17のグローバル目標をフラス語でレクチャー


次に、小学生にも分かるように17のグローバル目標を更に簡易的にフラス語に翻訳し
配布するワークシートを作成と大量印刷


更に、馴染みのない題材を扱うに当たって
「子供が楽しく積極的に授業を受けるためにどうすればいいか」を考え、
グループ活動で使う道具を準備したり、授業指導案をフラス語で作成したり


加えて、導入部で日本の文化紹介をすることになり、
フラス語で台本を作る


授業の1週間前はフラス語と事前準備の二重苦に苛まれました。



悲しみのmerry-go-round~真夜中のmelody-snow-dance~
(一月ですがブルキナでは雪を見ることはまずありません、ダンスはするけど)




とは言え、授業の題材には個人的興味もあり、
担当するクラスの先生もやる気があったのでそこまで
「挟まれてるな」
という気持ちにはなりませんでした。




そしていざ当日。
先生の要望で朝1番に授業をすることになり、
寝ぐせも直さず学校に向かいました。


学校に着くと、
先生がおしゃれな格好をしてわたしの作った授業案を真剣に読んでいたので、
「寝ぐせぐらい直せば良かった」と後悔しました。


だがしかし、
覆水盆に返らず
そのままクラスにチェックイン


すぐに授業が始まりました。




まず、私が自己開示も含めて日本の紹介や自分の小学生の頃の写真を見せ、
SDGsについて説明しました。




その後、
担任の先生が17のグローバル目標をフランス語と現地語で丁寧に詳しく解説し、
個人で優先順位を決める作業を行いました。


普段の教室はなかなかカオス状態で、
指示がほとんど通りませんが、
児童は無言でワークシートに自分の意見を書いていました。
頭を抱えながら熱心に考える子供も。


また、先生も普段は椅子に座ってふんぞり返っているだけですが、
この日はクラスを見て回りアドバイスをしていました。



「こんなに真剣な児童と先生は初めて見るな、
いつもこうやって授業をして欲しいな」


と言いたい気持ちはありましたが、
その思いを胸に秘め、
私も机間指導を行いました。




長々と、40分後。
ほとんどの児童が個人ワークを終え、
次にグループ毎の意見をまとめる活動に入りました。


ここで、毎班に17のグローバル目標が書かれたポストイットを配って、
順位をミニ黒板に貼ってもらうようにしました



毎日座って黒板を写しているだけの授業なので、
珍しい「貼れる紙」に児童は興味深々。
黒板に早くポストイットを貼りたくて、
思った以上に話し合いが盛り上がっていました。


中には、几帳面にも綺麗にそろえている班も。
綺麗だねと言って褒めると、
それを聞いた他の班が折角張ったポストイットを全て剥がし、
綺麗に貼り直すという事態に。


何度も剥がしていたので粘着性が無くなり、
このアクティビティの後半には
私と先生がテープを持って教室を走り回るという謎の時間が訪れました。


しかし、児童も貼るだけでなく
きちんと話し合っていたので授業は着々と進行し、グループ発表。




先生が各班1名を指名し、
1番目に選んだ項目とその理由を尋ねていきます。



驚くことにほとんどの班が共通して
「人々に健康と福祉を」の項目を選んでいました。


「ブルキナファソにはマラリアなど多くの病気が蔓延していて、病院も少ないため」
という意見が多く、
予想以上にしっかりした意見に関心していました。


他にも「質の高い教育をみんなに」
「安全な水とトイレを世界中に」など
この国の現状を鑑みた意見が多数あり、
児童の授業内容の理解度の高さに驚きを越えて驚愕しました。




しかし、全てを完璧に理解しているというわけではなく、
貧困と飢餓の違いやパートナーシップの意義など、
言葉をあやふやに捉えている児童も多く、
自分の説明や準備が足りなかったと感じる部分も多々ありました。


しかし、全児童が個人で意見を考え、
グループ毎に1つの意見を出せたということは大きな前進であり成果でした。




授業の最後には子どもたちが、


「新しいことを学べた」
「世界中の人々が世界を変えることができると知った」
「日本の学校の意見も知りたい」


などトレビアンな感想を述べてくれました。


そして押しに押して長かった2時間に及ぶ授業が終了。
自分にとっても様々な発見があった授業でした。


最後には日本に向けて歌を披露してくれました。




現在は日本にブルキナファソの子供たちの頑張っている動画を編集して、
ビデオレターを作成中です。


肖像権などの関係でこの場にはアップロードできませんが、
この長ったらしい文章を読んで
想像していただければと思います。


また、2回目の授業が来月控えています。
今回の収穫を活かして、次に繋げられたらなと思います。




あとがき


この前ふと先生に
「君はブルキナで先生になればいいのに」
と言われてこのブログのタイトル目標を達成したと思い喜びました。
でも、よくよく見てみると「ブルキナ先生」なんですよね、、、
ブルキナ先生になればいいのに」って言ってくれないと、、、
頼むよ、、、言い直してくれ、、、


あと一年間で何とか呼ばれるよう、あんな手やこんな手を使っていきます。

子どもの、奥野による、子どものための教材開発


こんにちは。


ブログの更新はしていませんでしたが、何もしていなかったという訳ではありません。
9月の新学期から自分の一番やりたかった活動「教材開発」に着手しています。
というのも、




任国は物資に恵まれず日本のように
「児童全員が教科書を持っている」という訳ではありません。
学校にはコピー機も紙もない。そもそも電気が来てない。
授業手法も、黒板に文字を書くか絵を書くかの二択。



加えてブルキナファソでは外国語である「フランス語」を使って授業をするので、
「子供が授業内容を理解できない」というのが大きな課題となっています。


日本で例えるなら「英語で全ての授業をする」ようなもの。


フランス語は小学校から習うので、低学年は特に深刻です。



この現状を、


「フランス語ができないから授業内容が理解できないんだ」
と言い張るのは簡単なことです。



しかし、本当にフランス語の向上だけでしかこの問題を解決できないのか。
もしそうであれば、自分が教育技術を教えても意味ないじゃん。




とっぴんぱらりのぷう。




このことに気づいたのが6月。
しかし、


日本の学校でも日本語だけでは授業を理解できる児童は少ない。


教師が「児童がどうやったら理解できるか」
楽しく学ぶことができるか」

を考えるのが日本の教育の醍醐味ではないのか。


、、、
この考えを目に見えるものとして表せるもの、、、
「教材開発」だ!。






長い回想はここまでとして、以上の理由からこの活動を始めました。



少し堅苦しい話になってしまいますが、
この活動を行うに当たって、
私は「PDCAサイクル」を応用したものを取り入れています。



教育的観点ではこのサイクルにはいくつかデメリットがありますが、
それ以上に、
「身の丈に合わない計画を立てるとサイクルが回らない」という点が厄介です。


なのになぜこのサイクルを導入したか。



それは、現地の先生に「子供のために授業をしてほしい」から。



児童が理解していなくても先に進んでしまう現状もそうですが、
「児童のために」という精神こそ日本の教育の誇れる部分だと思ったからです。



よって、計画をする前に児童の実態を把握する
「OBSERVATION」
というフェーズを設けて、
児童のために教材を開発するシステムを作りました。



実際には、2枚のワークシートを使って先生とPDCAサイクルを回し、
自分が教材を開発して修正し授業を行い、その後検討をしています。


自分が教材を開発しているのは、
まだ現地の先生に教材開発の意欲がないこと、手法を知らないこと、
そして自分が修正され側、否定される側に立つことによって
先生たちに沢山意見をもらおうという目論見もあります。





そして1学期までにいくつかの教材を開発し授業を行いました。


嬉しいことに予想通り先生からも様々な提案をしてもらい、
授業までこぎつけることができたと思います。
また、教材を渡しても授業でいつどのように使うかを委ねたことで、
先生たちにもある程度の役割・責任感を持たせることができたと思っています。


例えば、小学校4年生の「風」の授業。



先生から「理科の教科書がないし、児童が退屈そうだから
子どもが自分で学べるような教材がいい」という注文があり、
紙とクリップだけで作れる風向計を作りました。


言い忘れていましたが、
もう一つこの活動でこだわっていることがあります。


それは「現地で調達できるもので教材開発をする」ということです。



ブルキナファソは日本ほど物が溢れた国ではありませんが、
首都に行けば大抵のものは手に入ります。


しかし、任地の先生が継続的に教材開発に取り組むには、
身近に手に入るものでなければならないと思ったからです。


そしてもう一つ、小学校2年生の「除法」の授業。


先生からは、「子供にとって割り算って難しいから、
子どもが割り算を理解できるような教材がいい」という発注でした。


なので、教材を使って「一つ一つ分ける=等しく分ける=割り算」
ということを体験的に学べる教材を作りました。
この教材は紙とビンのふたのみ使っています。



このように現在自分は活動を着々と進めています。
来月は1つの学校で全学年を対象に教材開発を行う予定です。
すでに2学年から6つの教材開発の依頼、多いな、、、
でもやりがいを少しながら感じています。


この学校が終わった夜は「ダンシング・オールナイト」ですかね。
それか「サタデー・ナイトフィーバー」かな。
「LOVE and DISCO!」もいいな、、、






(あとがき)
数日前事務所で中間報告会がありました。
私は報告の中で「踊る大捜査線」の名ゼリフをどうしても言いたかったのですが、
「事件は現場で、、、あっ」
、、、大事なところで噛みました。



とっぴんぱらりのぷう。

「道」

こんにちは!


ブルキナファソに来て早6ヶ月。
すでに任期の4分の1を終え、
自分の活動の方向性を決める時期になりました。


これまではと言うと、
学校を巡回して授業を見たり、
子供達と遊んだりという日々を過ごして来ました。




しかし、ここでこの生活に一時ピリオドが。
(悪魔の鎮魂歌、流れています)




「夏休み」




任国では7月から2ヶ月間の長い夏休みがあります。
6月下旬の小学校修了試験が終わってからというもの、
子供や教育関係者はまさに夏休みモード。




子供は畑を耕して親の手伝いを終えると「木陰でおしゃべり」
先生たちも授業をしないで「木陰でおしゃべり」
自分の配属先の人たちも仕事をしないで「木陰でおしゃべり」
そもそも夏休みでなくても「木陰でおしゃべり」が常ではありますが。


そんなわけで配属先の事務所は開いてはいるものの、
ほとんどの人が事務所に来たり来なかったりという現状で、
学校はやっていないので学校巡回はできない。
自分もやはり「木陰でおしゃべり」、、、


というわけにもいかない。





任地に配属してから今日まで学校を巡回してきましたが、
言ってしまえば「ただ巡回していた」だけ。
ブルキナファソの学校の現状を肌で感じることができた今、
自分の感覚を信じて少しずつ自分が出来ることを始める時期なのではないか。


ということをやはり配属先の人との「木陰でおしゃべり」
で気づきました。




学校巡回をしていて
日本との授業や教育観の違いに驚くことは多々ありましたが、
教室に入っていつも思うことがありました。



「教室が汚い」



紙くずやお菓子のゴミが散乱。
机や椅子はネジが外れ壊れている。
黒板も前の板書が残ったまま消さない。
数年前の児童名簿が貼ったまま。



児童にとって教室は学びの場であり、
学習をする場所として環境を整えることは先生の義務でもあります。



学校に先生も子供もいない今、
自分がアプローチできるのは「学校」そのもの。


なので「勉強をする場所」としての学校づくりのために、
夏休み開始時から「学習環境の整備」を始めました。


具体的には


・教室の清掃
・壊れかけた机・椅子の修繕
・掲示物の整理
・黒板のペンキの塗り直し
・ゴミ箱の設置


などを1つの学校を3日間で整備するというもの。





もちろん学校には掃除用具やペンキはないので、、、


ネジや工具等必要なものを村で調達し、
(床に落ちているネジを探して売ってくれます)


校長先生に電話をして教室の鍵を借り、
(拙いフランス語+電話で聞き取りにくい=最低3回は掛け直す)


自転車にバケツや箒を積んで、
(見た目と装備は完全にただの清掃員)


魯迅先生著「故郷」のような道を走りいざ活動開始。
(もともと地上に道はない。歩く人が多くなればそれが道になるのだ)





始めの活動場所は自分の自宅から自転車で約15分のところにある学校。


校長先生から拝借した鍵を使って教室に入ると驚きました。


2ヶ月間学校に来ないというのに
教室が掃除されていない。
黒板は書かれたまま。
板書を消すために使ったスポンジと水はそのまま。



「まず掃除だ、、、」


ということで箒と塵取りを持って全クラスを回り、
1日中掃除をして初日を終えました。
(完全に掃除のおじさん)


次の日には壊れている机や椅子の修繕と黒板の清掃、
最終日には黒板のペンキ塗りと掲示物の整理を行いました。



時には校長先生自ら手伝いをしてくれることもありました。


手伝ってくれることも単純に嬉しいのですが、
自分の活動を理解しようとしてくれる姿勢を感じたことが収穫でした。


でも、校長先生が腰を屈めて掃除をしているのを見て、
なんとなく罪悪感も感じましたが、、(笑)





また作業をしているとちらほら人の気配が、、、
家の手伝いを終えて暇を持て余した子供達が
「マサが何かしてる」と見物しに来ました。


しばらく自分の作業をまじまじと見つめ、
何をしてるか分かったようです。


バケツの水を汲みに行ってくれたり、
一緒に掃除をしてくれたり、
ペンキ塗りを手伝ってくれたりしました。



子供達はペンキを塗る作業を日常ではほとんどしないので、
自分がお昼を食べている時も楽しいのか
ひたすら黒板を塗り塗りしてくれました。






そんな子供達の作業風景をおかずにお昼を食べていて、
「机を壊したり、ゴミを捨てているのも子供達なんだよあ」
とふと思いました。




子供達は集中力が切れると
机のネジを外したり、机に落書きをしたり、
ノートや教科書をちぎって床に捨てたりしています。


また学校巡回をしていて
「教科書が足りないから授業ができない」とよく言われていました。


でも教室を掃除しているとボロボロになった教科書が沢山。
もっと教科書を大切に使えば
より多くの子供が教科書を使うことができるのではないでしょうか。




任国の人たちが「モノを大切に使わない」ということは
赴任当初から気づいていました。


ものが有限にあるものだと思って、
ビニールも紙も水も粗末に扱って、
使わなくなったらその場に捨てる。


人からもらったものも、
そのありがたみを本当に感じているのかという様々な行動。


教科書をちぎって丸めている。
もらった飲料水で水をかけ合って遊んでいる。
先生から借りたボールペンを噛んでぼろぼろにする。





ブルキナファソにはボランティアを含め、
沢山の人々がブルキナ発展のために技術提供や人材派遣を行なっています。
それにも関わらず上記のような行動。
少しでもいいから「感謝の気持ち」を感じてほしい。


全て子供の責任というわけではないけれども、
「今あるものを大切に使う」ことを子供が理解できなければ、
きっと一年後に同じ風景を見ることになります。






過去に協力隊の先輩隊員がブログに
「協力隊の活動は何かを変えることではなく、
変わることに手を貸すこと」と書かれていました。


解釈は少し違うかもしれませんが、
たとえ自分が何かを変えても、
その国の人々の心が変わらなければ意味がない。




変わることに手を貸すこと
人の心を動かすこと
人の心に触れること


自分の活動に「人との関わり」
もっと必要であることに気づきました。




活動を始める前は、
「学習をする場としての環境整備」だけを考えていましたが、
活動を手伝ってくれる子供達を見ていて
子供たちと一緒に活動を行うことで、
ものの大切さに気づいてほしいなと思いました。




先述した魯迅の「故郷」の1節には


「希望とは道のようなものである」


という前置きがあります。



今の自分の活動はたった一つの願い、
たった1人の通行人かもしれませんが、


あと1年半の間に少しでも多くのブルキナべの心を動かし、
同じ願いを持つ人、歩く人を増やして
その希望が現実になるといいなと思います。






あとがき


今回もかなり長い文章になってしまいました。
ヘビーな文章を読む時間と労力を奪ってしまったとは思いますが、
別に「ヘビーメタル」を意識したわけではありません。


また、任地で生活をしながら「ヘビーメタルの道」を
一緒に歩いてくれる人を探しているのですが、
未だたった1人の通行人。


こちらは道にならなさそうです、、、。笑

キャッチボール


こんにちは。


自分の性格の事情で、更新がかなり遅くなってしまいました。
何もしていなかったという訳ではありませんよ。
何も書くことがなかったという訳ではありません。
性です。


ご了承ください。


ということで二か月分を記事にしたため、
自然と文字数が多くなってしまいました。
意図したわけではありません。
故意です。


ご了承ください。




ブルキナファソに来てもうすぐ5カ月が経とうとしています。


フランス語にもブルキナの暑さにも
以前に比べると慣れてきたと思います。


活動も管轄の学校を回って授業を見ては、
休み時間に落花生の殻を一心不乱に剥き、食べ、
先生たちとおしゃべりしつつ、


唐突に開催される“先生プレゼンツ現地語講座”が始まると、
「右手にペンを左手に落花生を」という装備で、
フランス語と現地語のジレンマと戦っています。


フランス語と現地語によるダメージが蓄積してきたら、
ピーナッツを食べてHP回復。
でも毎回ピーナッツの供給が需要に追いついていません。



(自分の出身地は落花生が有名で、
「千葉県はピーナッツ県って呼ばれてるんだよ」と
冗談を言ったら鼻で笑ってくれました)





そんな日々を送っている私ですが、
学校巡回をしていく中で、
「先生と子どもの心の距離が遠い」というに気づき始めました。


確かに先生が教室に入ってくると
子どもたちは起立をして挨拶をし、
「授業を始めます」と先生が言えば、
児童はすぐに授業の準備をしています。


教室の中にある程度の規律はあります。



でも、先生たちは授業以外でほとんど子どもたちと話しません。
休み時間は先生同士で談笑と爆笑を繰り返し、
授業が終わるとすぐに帰ってしまう。
先生と子どもの間に「会話のキャッチボール」がない


そして、授業中も子供たちには勉強の話しかしません。
中には授業中全く笑わない先生もいます。
休み時間あんなに笑っているのに。



子どもたちも授業中以外は先生に話しかけようとしません。
先生に話に行くときは決まって友達の告げ口。


「〇〇が友達を叩いた」
「〇〇が授業中寝てました」だけ。


児童理解は学校教育にとってとても重要ですが、
ブルキナの先生たちは
子どものことを理解しようという姿勢があまり見られません。


なので、ほとんどの学校で


子どもたちは先生のことを「敬っている」のではなく、
「恐れている」という印象を受けました。



問題に正解できないと罵声を浴びせられ、
げんこつで頭を殴られ、
時には鞭で叩かれる。


子どもが先生を怖がるのも無理ありません。



と言っても私にとって休み時間は、
先生たちとコミュニケーションを取る唯一の時間なので、
学校にいる間はほとんど子どもと話すことができない。


「子供と触れ合う時間を作りたい」


学校巡回を始めてしばらくして、
この問題に当たりました。
すると日本から素敵な贈り物が。



某連盟からブルキナファソに野球道具が沢山届き、
そのいくつかを自分の配属先に譲ってもらえることになったのです。



そして、
このサプライズを受けて私に1つの考えが浮かびました。




「昼休みに子どもたちと野球をしよう」




「ブルキナファソの小学校では、
午前中の授業が終わると3時間のお昼休憩がある。
その時間を使って子どもたちと
野球を通してコミュニケーションを取ろう。」


次の日から学校に早めに行って、
暇そうな子供を捕まえて
唐突に“奥野プレゼンツ野球教室”を開催しようと決めました。




そして初日。
昼食後、学校に早めに行ってサッカーをしている子供たちに忍び寄り、
「今日は野球をしようよ」
と声を掛けました。


首都のワガドゥグと異なり、自分の任地では野球の認知度が低いので、
最初は子どもたちも「野球って何?」という顔をしていましたが、
グローブとボールと用意していたキャッチボールの動画を見せると、
ペアを作って見よう見まねでキャッチボールを始めました。



さすがはアフリカの子供。
投げることに関してはかなりの素質があり、
最高で約50メートル投げることができる子も。


しかしながら遠近感は絶望的で、
相手からの送球を取ることがほとんどできません。


でも子供たちはとても楽しそう。


キャッチボールというよりドッジボールに寄りではありますが、
夢中になってボールを追いかけています。




そして、野球教室を終えて授業が始まるまでの間
子どもたちとおしゃべりする時間もできました。



「日本の子どもはサッカーするの?」とか、
「マサの肌はどうして白いの?」とか、
「マサには奥さんが何人いるの?」とか、
「マサ、髭剃らないの?」などなど。



返答に困る質問もありますが、
この質問コーナーの時間は、
授業の時とはまた違う子どもの顔を見ることができます。


子どもと野球をすることが楽しいという理由もありますが、
子どもと触れ合うことでブルキナの子供たちの理解を、
そして先生だけでなく子どもの立場にも立って活動をするためにも、


野球の普及活動を今後も続けていきたいと思います。



当面は野球においても会話においても
「キャッチボール」ができることを目標にします。



最近は、平日のお昼は学校に早めに行って、
一日の一番暑い時間(気温約40度)に子どもと野球をしています。




また、学校で野球を始めると沢山の子供が来てくれるのですが、
グローブが足りずいつもバーゲンセールのような状態になります。



取っ組み合いになったり、グローブを引っ張り合ったりすることもあるので、
野球を通して「譲り合い」「物を大切さ」
子どもたちに伝えたいと思いました。




※あとがき


野球をした男子児童は
午後の授業でほとんどの子が上裸で授業を受けます。


先生が、
「どうしてそんなに汗をかいてるんだ」
「服を脱いでいるのはなぜだ」


と言ったら教室にいた子供たち全員が
私に熱い視線を送ってくれました。
先生は子ども同様汗だくの私を見て、
また鼻で笑ってくれました。

学校巡回、始めました。


こんにちは!


ブルキナファソに赴任してもうすぐ三カ月になる私ですが、
配属先や生活にも少しずつ慣れ、先週から活動の一つである学校巡回を開始しました。


そもそも、自分の活動の概要として、
「任地であるバゼガ県サポネ市(次回ボリューム満載でお届けします)にある学校を巡回して、現地の先生方に教科等の指導方法を提案する」
というものなので、この学校巡回が自分の活動の軸となります。



任地に配属されてから1カ月間は、各地で行われている授業研究会に参加したり、
同僚と一緒に学校の挨拶廻りをしたり、、、
それ以外はひたすら教科書を読みふけっていました。




まず最初に訪れたのは、自分の配属先の事務所からすぐ近くのところにある「Sapone Centre A」という小学校。
日本の学校の5倍はあるであろう大きな敷地に、日本の5分の1ぐらいの校舎が建っています。



日本の小学校との違いは沢山あります。まず授業。


授業のほとんどは公用語であるフランス語。
子どもたちは小学校からフランス語を学ぶので、慣れないフランス語を一生懸命使って頑張って勉強をしています。
勉強場所は教室だったり、時々会議で教室が使えない時は大きなマンゴーの木の下で、、



授業は午前中は朝の7時半から12時まで。
その後3時間のお昼休憩の後、子どもたちは午後は5時まで学校で勉強をします。
お昼休みの時間は学校によって異なりますが、この学校ではほとんどの子供たちが、お昼を食べたり、家の家事をしたりするために家に帰っています。



また、午前中の30分間の休憩には、校庭にある小さなお店に行ってお菓子やジュースを買ったり、
校庭に自生しているマンゴーを落として食べたり、
井戸に水汲みに行ったり、、



そして驚きなのは1クラスの人数。
CE2(小学校4年生)はなんと86人!
日本であれば3クラス編成になるところを、この学校では1人の先生が86人を相手に毎日授業をしています。


そんな子供たちは人数だけでなく一人一人がエネルギッシュ。
朝学校に着くと、わーっと駆け寄ってきて挨拶をしてくれます。
「おはよう、マサ!」とか「ヘイ、モナミ!(友達)」とか、、


決して先生とは呼ばれません。(笑)


日本の小学校に行っていた時も小学生から「オクちゃん」と呼ばれていたのを思い出しました。
日本でもブルキナでもそこは同じなんだなと。


しかし、そんな子どもたちのエネルギーには毎日驚かされます。例えば、「写真撮るよー」と声を掛けるとこんな感じ。



今のブルキナファソの最高気温は平均40度以上ですが、休みの日は子供たちは帽子も被らず、一日中外で遊んでいます。
そのバイタリティーはどこから来るんでしょうか、、。




このようにエネルギッシュなブルキナの小学校をお伝えしましたが、学校という観点からいくつか問題点も垣間見えました。


ブルキナファソでは教科書を自分で買わなければならないので、全員が教科書を持っていません。
隣の子に見せてもらったり、先生に見せてもらったり、、、


また、教科書と同様にノートも高級品で、クラスの半分の子供は小さい黒板を使って板書を写しています。
もちろん、次の授業になったらすべて消さなければいけないので復習ができない。



そんなこともあってなのか、子どもたちの計算能力はあまり高いと言えません。
発達段階の違いもありますが、小学校四年生でも繰り上がりの足し算になると指を使って計算し、2×8の問題が出されると指を使って2×1から数え始めます。


先生方も「教材が足りない」、「人数が多すぎる」などの声が相次いでいます。
でも、それらを解決したところで、子どもの学力向上には直接結び付くとは考えられませんし、他にも改善すべきところを先生たち自身に見出してほしいと思いました。



その一つが「学習環境の整備」。
教師の仕事は子どもたちに勉強を教えることの他にも、子どもたちが安心して、集中して学習に取り組むことができる環境を作る役割もあります。




しかし、ブルキナの小学校の教室はゴミで溢れ、机や椅子はネジが外れています。
子どもたちは毎回机を直しながら勉強を受けているので、机が壊れる度に直しながら授業を受けています。これでは、子どもが勉強に集中できません。



机や椅子があるだけいいという先生もいますが、


「学習環境を整える」


という意識はまだブルキナファソにはあまりないように感じます。
学校を巡回していく中で、その重要性を先生や子供たちに伝えていきたいと思いました。


とはいえ、やっぱり事務所で教科書を読んでいるより、学校に行って子供と触れ合う方が楽しいですね!